メディカルドクターという生き方 <前編:MD歴20年以上のドクターが明かす本音>

最終更新日:2017.09.28
メディカルドクターという生き方 <前編:MD歴20年以上のドクターが明かす本音>

製薬会社で働く「メディカルドクター」という職業を明確にイメージできる人は、世の中にいったいどれほどいるだろうか。

同じ医師であったとしても、臨床医にとっては「住む世界が違う人」かもしれない。

そこで今回は、20年以上にわたってメディカルドクターとして働く加藤医師に、MD(メディカルドクター)としての想いをざっくばらんに語っていただいた。

 

加藤 淳 医師プロフィール

防衛医大卒。一般外科、大腸肛門外科にて研修後、消化器内視鏡専門医を取得。オーストラリアで医師として働いた後に帰国。1995年にメディカルドクターとしてのキャリアをスタートし、2008年に日本製薬医学会認定医を取得。2016年にジェケイ・メディカルコンサルタント株式会社を設立。

 

専門医取得後、オーストラリアへ渡ったことが転機に

─昨年会社を設立されたそうですが「加藤社長」ではなく「加藤先生」とお呼びして良いでしょうか。

いつもイニシャルをとって「JK」と呼ばれることが多いので、「加藤先生」と呼ばれると不思議な感じがしますね(笑)。臨床医として働いていたときは、毎日「加藤先生」と呼ばれていたんですが…。今日は、呼びやすいように呼んでください。

 

─加藤先生は、医師になった当初からメディカルドクターを目指していらしたのですか?

元々は町医者志向で、根っからの臨床医です。“目の前の患者さん一人ひとりに向き合って、適切に対処していくことが生き甲斐”というタイプですね。大学卒業後は主に消化器外科領域で研鑽を積み、消化器内視鏡専門医を取得しました。

その後、国際結婚をしたこともあってイギリスのGP制度(一般開業医制度)に興味を持ち、同様の制度があるオーストラリアに渡ったんです。今思うと、それが医師としての大きな転機ですね。

当時のオーストラリアでは、各州にある医事機関が医療従事者の管理を行っており、一定の条件を満たせば4年間の期間限定で医師として働くことができました。

と言っても、まずは必死に英語を勉強するところからのスタートでしたが…。日常会話レベルの英語力では、人の命を預かる医師として働くには不十分ですから。

猛勉強の甲斐あってか、渡豪の翌年にメルボルン州の一般開業医の資格を取得し、4年の期間限定ながら医師として働くことが許可されました。このときは、嬉しかったですね。

 

帰国して念願の開業医に!しかし、その矢先に震災が…

─次の転機はいつだったのでしょうか?

日本に帰国して開業医として働き始めた後です。関西でクリニックの院長をしていたのですが、開業直後の1995年1月に阪神淡路大震災が起きました。診療所のある建物も壊れて、診療どころではなくなってしまったんです。

私自身も体育館に避難しました。当然ですが、体育館には十分な薬も医療機器もありません。薬が手に入らないために持病が悪化した患者さんや亡くなる方を目の当たりにしました。ヘリコプターのプロペラ音はずっと聞こえているのに、救助もない、物資もない、もちろん薬もない。医師なのに何もできない。

…体育館で看取った方のことは、忘れることができません。

 

─職場も被災し働けない状況で、どうされたのですか?

ハローワークに行った記憶があります。
開業したばかりのクリニックが被災し、明日どうなるかもわからない。医師としてなす術もなく目の前で人が亡くなっていく…という状況に、相当混乱していたんだと思います。

そんなときクリニックの患者さんが教えてくれたのが、製薬業界で働くメディカルドクターという道でした。たまたま製薬会社に勤めている患者さんで「製薬会社にはメディカルドクターという専門職がある。うちで働いてはどうか?」という提案をしてくれたんです。

これまでは考えたこともなかった職業でしたが、医療機器も薬もない体育館で医師としての無力感を嫌というほど味わった後だったので、「人の役に立つ薬の開発に携われる」ということは、新たな希望になりました。

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1年が経って、メディカルドクターの仕事の醍醐味に気づいた

─臨床医から製薬会社のメディカルドクターへは、意識の切り替えが大変だったのでは?

臨床医とは全く違う世界ですから、初めのうちはまず慣れるために、週に1回アルバイトのような形で製薬会社に通い始めました。

今でも「本当に環境に恵まれていたな…」と思うのは、メディカルドクターの草分けともいえる医師が身近にいたことです。手取り足取り、具体的な方法だけではなく、メディカルドクターという仕事の心構えまで教えてもらいました。

年齢はそんなに変わらないのですが、当時の私にとってはまさしくメンターのような存在。彼と出会っていなければ、今こうしてメディカルドクターとして働いていることはなかったかもしれません。

 

─メディカルドクターとして生きていく覚悟を決めたのは、いつ頃ですか?

製薬会社で働き始めてちょうど1年が経った頃でしょうか。メディカルドクターの仕事の面白さがわかってきて、正社員になったときですね。

臨床医に未練がなかったといえば嘘になりますが、臨床医が診療できる患者の数はどんなに頑張ってもある程度限られてくる一方で、薬は上市されれば万単位の人に影響を与えます。その影響力の大きさや、色々な人が関わってチームワークで申請していくというプロセスが、メディカルドクターとして働く醍醐味でした。

しかし、元々町医者志向だった私がそんな風に考えるようになったのは、オーストラリア時代のある経験が大きく影響していると思います。

実は、オーストラリアでヘリコバクター・ピロリ菌が発見された当時、私もその現場にいたんです。

 

ピロリ菌発見の現場が教えてくれたチームワーク

─オーストラリアでは、どんな経験をされたのですか?

ピロリ菌の発見者はパースの病院に勤める2人の医師で、その研究が評価され2005年にノーベル医学生理学賞を受賞しています。

私がオーストラリアで医師として働いていた当時、彼らは看護師から薬剤師まで幅広い職種の人々が関わるチームで研究をしていました。私もボランティアのような形で携わったのですが、そのオープンな雰囲気に驚いたことを覚えています。看護師も医師も関係なくフランクに意見を交換し、立場や職業に関係なく良いアイデアは即採用されていました。

 

─その雰囲気は、日本とは全然違うのですか?

残念ながら、日本の医療現場ではそうしたフラットなチーム編成というのが難しい。今でこそチーム医療が発展してきていますが、当時はどうしても「医師の言うことが絶対」というトップダウンの雰囲気がありました。

しかし、製薬の現場では、医師の資格があろうとなかろうとチームの一員としてプロジェクトに取り組むことが求められます。そこで「医療現場では味わえないチームワーク」を味わえるに違いないと直感したんです。

20年経った今、「あのときの直感は、間違っていなかった!」そう断言できます。

メディカルドクターとして数々のプロジェクトに携われば携わるほど、直感は確信に変わっていきました。メディカルドクターの仕事の魅力は、チームワークであり、マネジメントであると思います。

製薬会社でのメディカルドクターとしてのキャリアに興味を持たれた方、ご質問などある方はこちらの問い合わせフォームよりお気軽にお問合せください。
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後編では、「MDに向く医師、向かない医師」として、メディカルドクターの具体的な仕事内容と適性についてご紹介します。

後編記事はこちら

取材・文 松山あれい

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